東 義照

高野山中学卒業後直ぐに幹部候補生となり、1938年20才で満州を守る関東軍に派遣される。1939年ノモンハン事件が勃発、119部隊第3中隊戦車燃料輸送隊の隊員として「水無、弾無し、眠り無し」の生活の中で九死に一生を得て、45年3月に帰国。故郷徳島の社紋が鞠御紋である観音寺46世住職となる。昭和50年から6年間、嵯峨大覚寺財務部長として寺の借金30億を6年間で全て変換する。歴史学者の中村直勝先生を招き大覚寺文書を創り上げる。

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