サラ・シャンティ通信 2024年8月
私のサラ・シャンティを始める事になった不思議な体験の元になったサイババの奇跡については拙著「走りながら祈る」で紹介しているが、そこに至る若いころから取り組んだ事と繋がっていると云う話を書いてみます。
私は杖道を始めたおかげで、真冬の極寒の時に朝4時に起きて、摩耶山不動の滝に連れていかれるようになり、滝に入る前に褌に着替えて行場の掃除をし、般若心経と私が共感していた五井先生の平和の祈り「世界人類が平和でありますように、日本が平和でありますように、私達の天命が完うされますように、守護霊様ありがとうございます、守護神様ありがとうございます」を唱えるようになりました。この中の守護神、守護霊という存在の意味が分からなかったのですが、唱えている間に分かる日が来るだろうと思ったのです。
同時にその頃、比叡山の千日回峰行の酒井雄哉の事を知り、般若心経を唱えながら比叡山を千日走る方法に興味が沸き、それを日々のランニングで真似てみることにしたのです。般若心経は母が写経をするのを見ていたりして馴染んでいたので、私も写経して暗唱していたので、通勤自転車で会社に行くときに唱えたりしていた。松原泰道著「般若心経」を読んで色即是空の意味を理解して大変感動しました。
空から色(物)が生まれるということ、色(物質)が空になるという量子力学的な自然の摂理や現象を人生観として受け取る事ができて、悟りの境地を得てしまったのです。すなわち悩み多き人生の問題、過去に対する囚われ、執着、こだわりを捨てることが、楽に生きるコツだと理解したわけです。これは毎日の通勤時にランや自転車に乗っている間に何度も何度も般若心経を唱えていたので気づきが深められたのだと思います。日本の仏教の各宗派が護摩供養や接心、座禅の時に長時間何十回も般若心経を唱えることの意味が理解できました。
私が若いころから追求していた言葉に美意識があります。なぜか美意識を大切にすることが生き方の術として意識していたのです。これは物質より精神性を大切にする生まれ持った性格だったのかもしれません。絵を描くのが好きで、音楽を聴き、楽器を弾き、歌を歌うことも好きでした。おかげで物より心を大切にする生き方が自然に備わっていたように思います。トライアスロンを始めてトレーニングのために自転車通勤をしたり、自宅まで走って帰ったりで会社帰りに飲みに行く事もなく、車の趣味もないのでドライブで遠出したりせず、ガソリン出費んの無駄使いもしない生活をしていましたので、家を買う資金が早く貯り、これがビルを建てる時に役立ったのです。
神道夢想流杖道と自転車通勤をしていたのがトレーニングに役立ち、トライアスロンで完走できました。1995年の阪神大震災の時から宮古島大会に行くようになり、スイム3キロ、自転車155キロ、ラン42.195キロを完走するための持久筋を鍛えるトレーニングとして、2007年60歳になるまで通勤自転車を続けました。この経験が77歳の今も役立っています。しかし会社通勤がなくなったので、毎日自転車に乗る機会がなくなり、仕方なく週に一度だけですが自宅から今津の道場までの往復26キロ走ることが唯一のトレーニングとなりました。
ゆっくり走ることが有酸素機能を開発して持久力の良い体にしてくれますが、抹消毛細血管が体中に張り巡り疲れない体になるのです。良く高齢者の老化予防に1日5キロ歩けとか云われますが、僕はそんな運動が苦手ですのでしていません。週2回の杖道の稽古と週1回の往復26キロの自転車だけで健康を維持している状態です。しかしお昼ご飯を食べに行ったり、買い物があったりすると自転車で出かけています。少し歩くことも必要なのですが、これで老化防止になっていると思っています。
現実にこうした運動をしなくても、頭脳活動をして体の細胞を生かすような生活をしている人で長生きの人は結構います。私の父は99歳、母は97歳まで生きていたのがお手本になっています。