サラ・シャンティ通信 2025年4月号

サラ・シャンティ通令和7年信4月号
お坊さんの健康な生活
今年で78歳になった私ですが、100歳まで残り22年となりました。しかし同世代の友人はポツポツと亡くなっていくし、老化現象が身近な問題になってきました。杖道の稽古で蹲踞の姿勢が出来なくなって、今まで必要なかったトレーニング始めたりしています。杖道は毎週土曜日の稽古と水曜日の今津道場での稽古のために六甲から往復25キロを自転車で通うようにしています。その他に自転車で買い物やお昼を食べに行ったりしていますが、走ったりはしていません。

父は99歳、母は97歳で亡くなりましたが、二人とも病気もせずに老衰で大往生しましたので、私も100歳近くまで大丈夫だと思っています。父は83歳まで歯科医として立位診療をしていましたが、その後特別な運動はしていません。父はウイスキーにビールを入れて飲むのが趣味で、その習慣は95歳頃まで変わらなかったと思います。母は父の世話と植木いじりに熱心でしたが、父が亡くなってから少し老いていきました。二人とも食事療法などせず一日3食きっちり食べていましたが、お昼に蕎麦を食べるのが健康に良かったのだと思います。

その両親の事を考えると、近頃兄姉二人が入院生活を始めたのが想定外でした。世間に運動しなくても仕事に熱中していて長生きの方は沢山います。健康ために武道や気功をしている人でも70代で亡くなる人は沢山います。私が注目しているのはお坊さんが長生きだという事です。今年の2月2日、100歳という高齢を理由に天台座主を退任した大樹孝啓座主にかわって、93歳の藤光賢座主が就任しました。大樹孝啓座主は姫路書写山円教寺に97歳までおられましたので、毎年杖道の奉納演武を見ていただいていました。とにかくお坊さんの90歳になっても現役を維持しているのが当たり前の健康生活を見習って、座禅や読経、掃除などお寺の生活が健康法に良いと思うのです。

今空海と云われる三田鏑射寺の中村公隆大阿闍梨は96歳まで現役でしたが、若いころ大病をしたときに、断食をして快癒して四国88か所を歩いて元気になられ、その後も20日間の断食を何度もされていたようです。日蓮宗の僧侶で高名な藤井日達上人はインドで日本山妙法寺を開いて仏教を復活するお仕事に専念され、100歳まで活躍されています。その後継者と現れた佐々井秀嶺氏が30歳でタイに留学し。龍樹菩薩の夢告を授かってインドのナーグプルに行き布教活動を始め、インド山妙法寺を建立して、ガンジー首相からインド国籍を与えられて龍樹菩薩大寺院を建立し、現在も90歳で頑張っておられます。

こうしたお坊さんの生活が健康長寿の生き方として知られていませんが、私は参考にしているのです。私がトライアスロンを始めたころ、比叡山の千日回峰行に興味を持ち、一日回峰行に参加したことから、走ったり、自転車に乗るときに不動妙経や般若心経を唱えるようにしました。毎日の通勤で自転車に乗っている時に般若心経を唱えると、『色即是空、空即是色』の諸法は空の意味を考えるようになり、囚われや執着心がなくなりました。何か嫌なことや悲しいことがあっても気にしなくなったのです。この事が空の意識を養い、空から色になるとは意識が物質化することだと理解し、量子力学的価値観を身についたのです。おかげでサイババと意識が繋げることが、物質化現象を起こすことに目覚めたのです。

著書『走りながら祈る』に書いていますが、青山圭秀の『理性のゆらぎ』『アガスティアの葉』『真実のサイババ』3部作を読み終わった直後に阪神大震災が起こった時、私の頭はサイババが奇跡を起こす事で一杯でしたので、それがサイババとの意識が繋がり私の願望を叶えてくれたと思ったのです。そしたら1週間後、岡山の友人から石屋川の山田バウさんの元気村の炊き出し支援に白菜と大根を持ってきたと電話があり、近いので自転車
で会いに行ったら一人の女性が僕を待っていて、サイババの処から帰ってきたばかりですと云われ、お土産ですとビブティをプレゼントしてくれたのです。そして神戸のサイババセンターの場所を教えられ、翌日訪問すると山本ヨガの正子先生が待っておられ、ガヤトリーマントラを教わり、それを唱えて奇跡が起こるように祈ったら、著書に書いたような奇跡が与えられ、不思議な体験が何度も叶えられるような神様と繋がるサラ・シャンティの面白い活動が始まったのです。

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